瞑想していると昔の忘れていた記憶をくっきりと思い出す。境地瞑想はどんな状態か具体的に説明

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皆さんこんちは。

瞑想にハマっているのびのびです。

今日は本当は家系ラーメンのことを書こうとしたのですが、過去の記憶が本当にくっきり思い出してしまいなんだかブルーな気分なので、

瞑想で思い出した、昔の思い出したくない記憶と、何故脳は今瞑想中にその記憶を頭に届けたのかを科学的に説明したいと思います。

瞑想中、何故過去の忘れていた記憶が蘇るのか?

瞑想は大きく2種類に分かれます。

それは、「実践瞑想」と「境地瞑想」です。

最初に行う瞑想が「実践瞑想」というもので、これは何も考えない努力が必要な瞑想です。

この実践瞑想は、1つのことだけを考え続けることに集中します。

1つのことだけを考え続けていると、雑念という他の考えが浮かんできます。

「今日はこんな日だったな、そういえばあれやらないとな」

こういったことが思い浮かびます。
これが雑念です。

雑念が浮かんだ時は「今は瞑想に集中しているから後で考えよう」と脳に指示を出して雑念を払います。

これを続けることが実践瞑想です。

瞑想中に後で考えようとした大切なことは忘れてしまうのでは?

そんなことはありません。

実践瞑想中に思い浮かんだ、本当に大切で今すぐにでもやらないといけないことや、素晴らしいアイデアであっても雑念と捉えて実践瞑想に集中します。

こう聞くと良いアイデアも後回しにするから忘れてしまうのでは?と思うかもしれません。

しかしそんなことはありません。

むしろ、後頭葉という記憶の保管庫にそのアイデアが運ばれるため、必要な時に必要な考えが思い出せるようになります。

そのため心配する必要はありません。
安心してください。

実践瞑想を続けていくと

1つのことだけを考え続けるのは、脳が飽きてしまいます。

脳が「もっと他に大切なことがある!これを考えようよ!」と提案することによって雑念が生まれます。

それでも雑念を払い続け1つのことだけを考え続けると、他に大切なことがなくなります。

1つのことは私は呼吸の秒数を数え続けているのですが、呼吸の秒数以外に大切なことを全て後頭葉に片付けます。

その片付け作業が全て終わると、呼吸の秒数を数える以外に大切なことがなくなります。
(呼吸の秒数を数える以外に大切なことを全て片付けると必然的に他に考えることがなくなります。)

そうすると、自然的に境地瞑想という第二段階に入ります。

境地瞑想に入ると過去の記憶を自然と思い出す

実践瞑想は脳の前頭葉というところを使っています。

前頭葉は短期的な記憶を保管する場所です。

実践瞑想は1つのことを考え続けている間に、他の考え(雑念)が思い浮かんで、それを処理し続けます。

これは、短期的な記憶(雑念)を処理すると自然に後頭葉に保管する処理です。

雑念が無くなると、前頭葉を使う必要がなくなります。

すると、脳は自然と後頭葉から記憶を探し出して頭の中に引っ張りだします。

これが境地瞑想です。

境地瞑想の時は後頭葉を使っています。

境地瞑想の時は後頭葉を使っているというけど、それも雑念なんじゃない?

そんなことはありません。

境地瞑想に入ると感覚でわかります。

実践瞑想の時は必死に1つのことだけを考え続けますが、境地瞑想に入った時は1つのことだけを考え続ける必要もなくなります。

境地瞑想に入ると、私の場合は身体がどんどん小さくなっていく感覚になり、目を閉じているのに、強い光を浴びているような白い光が見えます。

これは、瞑想をすると集中し続けているため身体の感覚も敏感になるために起きます。

白い光が見えるのは、視覚の神経が非常に敏感になっているため、少ない光でも眩しく見えてしまいます。

このように研ぎ澄まされた感覚が境地瞑想に入った証拠になります。

しかし、「あっ!今境地瞑想に入った!」と思うことは雑念なので、何も考えないように努めましょう。

初めの頃は境地瞑想に入れたのが嬉しくてつい雑念を考えて境地瞑想から解けてしまいます。

慣れてくると気にならなくなるので境地瞑想に入りやすくなります。

境地瞑想については説明が非常に難しいので、実際に入ってくださいとしか言えないのが寂しいところです。

人によって境地瞑想の感覚が違うということもあります。

とにかく入ってみて自分の境地瞑想を楽しんでください。

境地瞑想に入ると何故過去の記憶が鮮明に思い出せるのか

境地瞑想に入ると、過去の忘れていたような記憶もくっきりとリアルに思い出します。

人によっては赤ちゃんの頃の記憶を思い出し、お母さんの匂いやテレビで何が流れていたかなどを思い出すそうです。

私はそこまでレベルが高くないので中学生や小学生の頃の記憶がでてきます。

しかもよりリアルに、友人が何を喋っていたか、周りにはどんな景色が広がっていて、どんな服装だったかまで思い出せます。

この理由として、後頭葉という記憶の保管庫から直接頭に記憶を運んでいるためです。

普段は後頭葉の記憶はほんの一部だけ前頭葉に運ばれて、その一部の無駄なところ(友人の服装だったり匂いだったり)を省いて頭に届けてしまいます。

そのため、どこか他人的であったり曖昧な記憶になってしまいます。

しかし、境地瞑想の時は後頭葉から直接頭に届けられるので、無駄な情報だと判断していた情報を省かずに頭に届けてくれます。

そのためリアルに思い出せるわけです。

嫌な記憶もくっきりと思い出せてしまう

これは良いことなのか悪いことなのかわかりませんでした。

「うわ、昔の嫌な記憶だ思い出したくない!」と思って境地瞑想を解いていましたが、

そこで境地瞑想を解いていても何も進まないと気付きました。

その当時は嫌な記憶であっても、今思い出してみると違う観点から物を見ることが出来るので、怖がらずに嫌な記憶でも解かないで起きましょう。

私は中学生の頃、バスケ部で先輩にとって最後の大会で残り1秒でフリスローになりました。

私はそこで二本とも外してしまい、負けて先輩達はバスケ部卒業です。

私のせいで負けてしまった、とその当時はとても落ち込みましたが、気付いたらその記憶を思い出さないように記憶の奥底に閉じ込めていました。

境地瞑想の時にその記憶を思い出し続けていましたが、いつも逃げていました。

しかし、立ち向かってみると色んなことに気付きました。

1.その記憶が今の自分を邪魔している。
2.その記憶を克服しなければ今の自分がかわらない

この2つに気付きました。

私は責任感のあることを任されそうになると、いつも逃げていました。

この逃げてしまう癖の1番の原因はバスケの試合の記憶が原点だと気付きました。

このバスケの記憶を克服しなければ、一生責任感かれ逃げる人生になってしまうと気付いたので勇気を出して境地瞑想でバスケの試合を思い出した時に境地瞑想を解かないようにしました。

すると、先輩達は泣いてはいましたが、皆

「自分でも外していた」

「それを糧にして成長して来年は頑張れ」

このように優しい言葉をかけられていたことを思い出しました。

この経験があったからこそ後輩達には優しくなれましたし、ミスをしなければ成長しないということにも気付きました。

しかし当時の私は、私のせいで負けたということばかり考えて、ネガティブなことしか考えられなかったのです。

境地瞑想を勇気を出して見続けていたことによって私はまた1つ成長できました。

境地瞑想で思い出す記憶は、あなたにとって実は大切なことかもしれない

境地瞑想で思い出す記憶は、楽しい記憶もあります。

しかし、嫌な記憶を思い出すことがあります。

それはあなたの脳があなたに教えてくれているのです。

私の場合は、私が豊かになって、その豊かさで皆を助ける立場になりたいというのが目標です。

しかし、先程のように責任感のあることから逃げてばかりではその目標を達成できません。

そのため、脳が原因を教えてくれて目標への道に背中を押してくれているわけです。

これってすごいことですよね。

自分にしか分からない、むしろ自分にもわからないトラウマの原因なども境地瞑想によって自分が教えてくれるのって

本当にすごいですよね。

だからこそ瞑想って本当にすごいですし、皆にもやってほしいと思っています。

以上!最後まで読んでいただきありがとうございました!

皆さまの人生ものびのびしていくといいですね

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