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私の人生は挫折と挑戦の連続だった
どうも。
人生波乱万丈だねとよく言われるのびのびです(*´-`)
最近ちょっと難しいことばかり書いてきたからたまには自分のことでも書いてみようかななんて思っちゃったりして!
というわけで今日は作者のびのび、脚本のびのび、原作お母さんでお送りするよぅ٩( ‘ω’ )و
小学生時代は何故か先生からの壮絶なイジメがあった
小学生の頃、私は今では考えられないほど激太りしてた。
それでも同級生達とは仲良く毎日楽しく学校に通ってたわけだけど、
問題が起きたのは五年生になった初日。
担任になった先生に突然教室の前に立たされ私のゴム印の一部がかけていたことでイチャモンをつけられた。
私だけでなく、他の2人も家庭のこととクラブ活動のことでイチャモンをつけられた。
当然理不尽なことだったから三人で反論。
それを計算し尽くしていた担任から帰るまでずっと怒られ続け、教室の前に立ちっぱなしで授業を受けることになった。
今になって分かるけど、生徒達に言うことを聞かせるためにわざと理不尽なことで怒り散らし
恐怖心で子供達を支配しようとしたのだ。
つまり洗脳というやつ。
そう、私達は犠牲になったのだ。
当然納得できない私達は手を組み、何か言われるたびに反抗していたけど
その度にビンタをされたり、給食を抜きにされたりと色んな罰を受けた。
子供の頃だから教師は絶対で、親からは人を傷つけてはいけないと教わっていたからやり返すことができなかった。
何より、他の生徒達が洗脳されていて私達が悪者だと思われていて、自分でも「自分が悪いんじゃないか」と思ってしまっていた。
それからはもう担任の言いなりで最悪の2年間を過ごした。
親に相談すればよかったのだけど、「親にチクったらあんた達の親も他の親達から悪者だと言われるよ」と脅されていたからとても言えなかった。
そんなこんなで最悪の2年間を過ごしてなんとか卒業した。
中学生の頃は厨二病に
中学生の頃、私はバスケ部に入った。
バスケ部は担任の先生や、親から入らない方が良いと言われていた。
その理由がヤンキーが多いから。
でも私はスラムダンクに影響されてどうしてもバスケ部に入りたくて入部。
バスケ部に入部すると当然ヤンキーばかり。
でも先輩達も同級生も真面目に練習していて、特に入っちゃダメと言われる理由がわからなかった。
しばらくバスケ部での生活が続くと、知らない人達が。
そう、ヤンキーは練習に出ないからヤンキーなのである。
はじめましてヤンキー。
はじめは怖かったけど、話しているうちにいい人達だと気付いて
部活以外でも一緒に遊ぶ仲になった。
そんなヤンキー達に小学生の頃の話をすると
ヤンキーA「なんだその担任!許せないな!」
何故かその日のうちに小学生の頃に私達をいじめた担任の家に行くことに。
ヤンキーA「のびのびはここで待ってろ。俺らが話をつけてくるから。絶対謝らせてやるからな」
私は壁に隠れて様子を伺っていると
とても話し合いには見えない光景が。
そしてピーポーピーポーと叫び声を上げながら迫ってくる国家権力達。
何がなんだか分からなかった。
それでも私のために動いてくれたヤンキー達。
いつしか行動を共にし、部活にも授業にも出なくなっていた。
他の学校と喧嘩をしたり、国家権力のお世話になることも多々あった。
そんなこんなでバスケ部でも私の名前は忘れ去られ、成績も下位。
そんな生活が中学2年の冬まで続いた。
そんな時、喧嘩をして顔を腫らして家に帰ると母親が泣いていた。
どうやら私のことで父親と喧嘩したみたい。
それを見て私は何をやってたんだと痛感して母親と久しぶりに話してみることに。
私「なんで泣いてるの?」
母親「何でもないよ。それより学校は楽しい?」
私「楽しいわけないじゃん学校なんて」
母親「そう。お母さんはのびのびには将来普通に会社に行って普通に結婚してほしいって思ってる。お母さん何が間違ってたのかな?」
私「・・・無言で立ち去る」
部屋に戻った私は「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!なんであいつ泣いてるの!?」とかなり焦って朝までねれなかった。
その光景は今でも鮮明に思い出せる。
あまりの衝撃的な現実に焦った私は次の日からそれはそれはもう勉強をして、バスケ部にも久しぶりに戻って真面目に練習をした。
家にも毎日帰るようになり、母親に会うのが気まずいから部屋にこもって勉強した。
それでも頭は良くなかったけどなんとか高校入試で家から一番近い高校に通えるようになった。
それを知った母親は静かに私の部屋のフスマを開けて、目が合うなりガッツポーズをしてきた。
高校生マジで楽しすぎ
頭が悪いながらも頑張って入った高校だったから高校が楽しみで仕方なかった。
当然学校生活も楽しくて、文化祭では劇に出演してみたり、恋をしてみたり、アルバイトもしてみたり、髪も染めたりと
とにかく楽しく過ごしていた。
ところが私の人生、当然波乱万丈。
私は覚えていなかったけど、同じ学校に中学生時代に私と揉めたことのある人がいた。
そいつの名前は山田としておこう。
アルバイト帰り、お店の目の前には怖そうな男の人達が群がっていて何事だろうかと思って裏口から帰ろうとしたら
なんと全員追いかけてきた。
私は自転車だったから全速力でなんとか逃げることができた。
あの時捕まっていたらどうなっていたのか考えるとゾッとする。
次の日、面と向かってそれを計画した人に話しに行くと「とりあえず裏こいよ」と捕まってしまった。
裏に行くとゾロゾロとヤンキー達が。
あぁ、私はこの学校ではもう生きていけないのか。
そう思って覚悟をしていたけど、ヤンキーの1人が
ヤンキー「のびのびじゃん!こんな真面目なやつ虐めたら可愛そうだろう!」
私(良かったなんとか助かりそうだ・・・)
ヤンキー「のびのび!俺達は手出さないから、タイマンでこいつやっつけちまえよ!」
私「えっ!?」
どうやら山田は卑怯なことばかりするからヤンキー達からは好かれていなかったみたい。
山田はそれを聞くなり棒の枝拾おうとしたから私は飛び蹴り。
なんやかんやあって、その喧嘩は終わった。
そして何故か私だけ停学になり、また親を悲しませてしまうのであった。
山田はその後退学し、ヤンキー達も単位を落としたりなんだで二年生には上がれずほとんど中退してしまった。
二年生からは本当に高校を楽しむためにアルバイトや恋愛を頑張った。
当然勉強も頑張って、大学にも行けるようになった。
当然Fランだけど。
大学生活はとにかく自由!
大学時代は一年生の頃から「これで学生生活が終わる」という不安から精一杯楽しもうと決めていた。
そして、就職したら絶対に出来ないことをやろうと決めて、同じ考えを持った友人達4人と
日本一周旅行をした。
プリウスを借りて、1ヶ月かけて日本一周旅行に。
当然学生だからお金がないため、宿泊先は車中泊や漫画喫茶が基本。
それでも5人で過ごす時間はかけがえのない時間で、今思い出すだけでも胸がドキドキワクワクする。
それくらい刺激的だった。
大学時代は資格をとるのにもハマって、日商簿記2級、漢字検定準一級、中国語検定2級など、他にも色んな資格を取得した。
ちなみに役に立ってるのは1つもない。
資格をたくさんとったのは、その時代リーマンショックで就職超氷河期と言われた時代だったから。
就活は地方にも足を伸ばして色んな会社を面接したけどほぼ全滅。
なんとか一社受かり、就活疲れが酷くてその会社に決めた。
これが間違えだった。
超絶ブラック企業
この会社は自社工場で作ったものをデパートの一角を借りて販売する会社。
食品のメーカー会社。
私は経営を学びたくてこの会社に入ったのだけど、とんでもなくブラック企業だった。
入社1ヶ月でマネージャーから「店長への昇格研修として工場に行ってこい」と通達され工場に行くことに。
工場は高卒で就職した人達がほとんどで、1割が正社員で残りは外国人。
外国人達は日本語がほとんど伝わらない。
でも私は早く販売に戻りたかったから「工場でも頑張っていくぞ!」とやる気十分。
しかし、工場では環境が酷かった。
とにかく力仕事で、工場内は密閉されていて、食品に使う薬品や添加物、味付けの粉などが蔓延していて
まるで霧でもかかっているように前が見えない。
マスクをしないで1時間も仕事をすると、鼻の穴にギッシリ色んな物が詰まってとれない。
洗ってもとれない。
しかも就業時間は朝の4:30出社で帰りは23時。
帰っても寝るだけなのである。
しかも残業代なし。
休みは月に8日。
休みがあるだけマシだったけど、そんな劣悪な環境だったから社員が続々と辞めていく。
3ヶ月もすると、同期は50人いたのに私ともう1人の2人だけしか残っていない。
ちなみに販売部門は社長や社長の息子が来て裏に呼ばれて男女関係なく蹴りやパンチが飛んでくるということで全員辞めていた。
工場の方が平和だったみたい。
工場は正社員がほとんど辞め、入社3ヶ月なのに何故か私は主任になっていた。
正社員がほとんど辞めたせいで休みもなく、1ヶ月間休まずに働いたこともある。
それだけでなく、工場に異動になった際に強制的に寮に入らされたのだけど
何故か寮費が毎月5000円ずつ上がっていき、手取りが大学時代のアルバイトよりも少なくなっていた。
当然仕事は辞めた。
でも辞めるときに社長の息子に胸ぐらを掴まれて「お前がやめたらどこの会社にも入れないようにしてやる」と朝から夕方まで会議室に閉じ込められて
恐喝された。
それでも何とか辞めた。
この恐怖の経験から「もうサラリーマンはいいや」となり、独立することに。
営業代行会社で起業
人間は精神がボロボロになった時が強い。
私は新卒の会社で精神がボロボロになっていて、どうなってもあれ以上嫌なものはない!という精神になっていた。
だからこそ起業が出来たのかも。
起業したものの、何をしたら良いか分からず、とりあえず都会に行って会社に飛び込んで「御社の商品を売らせてください!」と走り回った。
頭おかしいよね。
当然飛び込みされた会社の人たちも同じことを思ったらしく、1ヶ月以上断られ続けた。
ところが1ヶ月した頃、「面白そうだからやってみてよ」と言ってくれる社長さんが現れた。
この人に出会ったことが人生が変わる瞬間だったのかも。
その社長さんは見ず知らずの私に商品を託してくれて、私はそれを1日で全部売ろうとまた飛び込みで駆け回った。
今度は何故か上手くいき、本当に1日で全部売り切った。
その後その社長さんは
・経営がどんなものなのか、
・どんな精神ならお金を呼べるか
・金持ちは何を考え何に意識を向けているのか
などなど、毎日私が帰ってくるまで夜遅くまで残って授業をしてくれた。
たまにお金持ちが集まるパーティにも連れて行ってくれて、気付いたら仕事も上手くいって
お金も稼げるようになった。
毎日楽しくて、成長している自分に自信を持って仕事をしていた。
が、しかし
私は身体を壊してしまった。
内臓に膿が溜まってしまう、腹膜炎というやつ。
この病気で手術をすることになり、親や当時お付き合いしていた方から
「頼むから普通に正社員として働いてくれ」
と入院中毎日お願いをされた。
また、腹膜炎だけでなく、蕁麻疹が出ていて熱も常にあったから
肉体的にも精神的にもかなり無理をしていた。
それを皆は目で見て知っていたから皆泣きながらお願いをしてきた。
私も気づいていて気づかないふりをしていた。
だって毎日楽しくて楽しくて、ご飯食べる時間も惜しくて、寝る時間も惜しいくらい楽しかったから。
適度に休んでちゃんと栄養をとるという当たり前のことを知らなかったのが悪かった。
そんなこんなで会社は畳むことに。
ちなみに一緒に働いてくれていた下の人達や社長さん達には申し訳ない気持ちが大きすぎて今でも罪悪感から
会社のあったところには近付けていないし、連絡もとっていない。
その後はバックオフィス
その後はバックオフィス業務(経理、総務、人事)の仕事を正社員として行うことに。
新卒の経験からサラリーマンは地獄だと思っていたけどそんなことはなかった。
毎日会社に行くだけでお金が貰えるというのは本当にありがたいこと。
休みもとれるし、無理をしなくてもお金を貰える。
毎日平凡な日々・・・
がわたしには合っていないのか知らないけど、メラメラと「次こそ成功してやる」という火種がどんどん大きくなり
それが業火となりその気持ちをぶつけるために副業を始めてみた。
それがネット副業。
このブログもだし、アフィリエイトサイトもだし、仮想通貨も株も。
おそらく私の前世はイノシシかマグロ。
立ち止まるということが嫌いなのかもしれない。
毎日目標に向けて進まないと不安で不安で仕方なくなる。
副業を色んな種類始めたのもそれが理由。
副業を始めてから一年近く経ったけど、あの時の起業の時に比べるとまだまだ収入は少ない。
でもそろそろ会社を辞めて投資とアフィリエイトだけで生きていこうかなぁーなんて思い始めてきた。
そんな気持ちで毎日悩んでるからこんな記事を書いてみたってわけさ!
本当にただの雑記になってしまってすいません(´;ω;`)
でも!ちょっとでも作者ののびのびがどんな人なのか分かってもらえたら嬉しいです(*´-`)!
そんなこんなでこれからものびのびの活躍にご期待ください!
というわけで以上!最後まで読んでいただきありがとうございました(*´-`)
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